さくらももこ「ちびまる子ちゃん」
先日のさくらももこ先生の訃報は、本当に突然でショックを受けました。
心よりご冥福をお祈りします。
さくらももこ作品の思い出
私はちびまる子ちゃんのアニメ放映期間とほぼ同年齢で、母はさくら先生と同世代。とても身近な存在に感じられ、幼い頃から作品の影響を強く受けて育ってきました。
70年代のアイドルを覚えたり…
エッセイも大好きで、さくら先生の「である」調を真似して小学校の作文を書いたり…
成長の過程で覚える言葉や表現をいち早く吸収したり…
(まる子がお姉ちゃんに「知ってるよ、大人は“せいり”なんでしょ?」とからかうように聞いて激怒されるシーンがありました(笑))
ちびまる子ちゃんについて
“さくらももこ”は小学3年生。とても小さくて女の子だから“ちびまる子ちゃん”とよばれている。 そんなまる子ちゃんが、おかしな家族の人たちや学校のお友だちとくり広げる、愉快な日常絵日記コミック。
ちびまる子ちゃんは私が初めて手にした漫画です。
毎週日曜日は母と自転車で出掛け、マックでお昼を食べたらBOOKOFFで小一時間立ち読み…でなく吟味(笑)をしていました。
気に入った漫画をがあると1冊だけ買ってもらってたのですが、その第1号がちびまる子ちゃん6巻でした。
前置きが長くなりましたが、
漫画ちびまる子ちゃんについて語りたいと思います。
さくら先生の漫画家デビュー作はちびまる子ちゃん1巻にされている「教えてやるんだ、ありがたく思え」という、今まで出会った変な先生をオムニバス形式で描いたエッセイ漫画です。
この他にも度々特別編「ほのぼの劇場」で幼少期や中学生、高校生、短大生、社会人の姿を描いた読み切りが出てきます。
コメディ要素メインではなくなるので、普段のまる子と合わせて読むとよりさくらももこの人物像が見えてくる気がします。
中でも進路に悩む高校生時代、面白おかしく仕上げて提出した課題の小論文が、
「書き流したエッセイ調の文体が高校生とは思えない」
「現代の清少納言」
と思わぬ高評価をもらったことがやりたいことを突き詰める第一歩になった話は、ドキドキワクワクが伝わって自分も凄く高揚したのを覚えています。
「うちはびんぼう」という衝撃の貧乏エッセイは、普段よりディープなコメディに仕上がっています。
方言も濃く、リアル(なのか誇張なのかわからない(笑))な家族のやり取りにさくら先生の人間観察力や表現力の凄さを見せつけられます。
本編だけ見ても1巻から連載休止(2002年に不定期掲載で復活)になった14巻までの間に全体的な作品の雰囲気が徐々に変わっています。
初期はどんなテーマややり取りにもほのぼのさを感じましたが、
11巻あたりから少しシリアスさやダークな笑いが増えたような気がします。
掃除をサボるクラスメイトに激怒する前田さんの、乱れた顔に必死で笑いを堪えるシーンや
(実は凄く暗い場面です。クラスメイトの反発の仕方も少々暴力的で怖いんです、、)
美人は得かどうかについて家族で議論し、女性陣の威圧感に男性陣がおののいてしまうシーンなど
(怒るおばあちゃんが気の利いた発言をした者に寿司を配るため、「どうしたらスシをもらえるか」考える男性陣が笑えます)
背景を書き込んだりスクリーントーンを多用したりと画風が変わり、全体的に絵が黒くなったことも雰囲気が変わったと感じる要因かもしれません。
エッセイ本ではシニカルな笑いがかなり多いので、そちらの作風に少し寄ってきたような感じもしました。
しかしどちらが好きとか嫌いとか良いとか悪いとかではなく、どの時期のどの部分のまる子も魅力的で、全部ひっくるめて「さくらももこ」なのだと感じます。
これからもずっとずっと大ファンです!